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2019年2月

黒鳥オオバン

筑後川に架かる豆津橋を車で渡っているとき、川面にカモが数十羽いました。車を停めて岸に降り立つとカモたちはすーっと遠ざかります。しばらく岸に腰を下ろして待っているとオオバンが近づいてきました。私のカメラでかろうじて目を写しこむことができました。

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2019年2月17日撮影

オオバンを撮影したのは初めてです。

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苦難の末に床島堰が完成

筑後川は筑後平野を東から西へ流れます。川の右岸、すなわち北側に田畑をもつ農民は目の前をとうとうと流れる川を見て、「あの水が自由に使えたら」と夢を語り合いました。

筑後川を遡った地点で取水して利用できたらという考えはずっと以前からありました。しかし、大きな川に堰を作ることができるか、隣り合わせの筑前藩の同意を得ることができるかが難題でした。

時は有馬藩の時代です。1710年に大干ばつが起こり、村には餓死者も出ました。難題に立ち向かった人物がいました。鏡村(現久留米市北野町)の庄屋高山六右衛門ら5人の庄屋です。六右衛門は綿密な測量を行い、工事計画書を作成しました。関係する21ヵ村の連署をもって久留米藩に提出しました。久留米藩も穀物の増産につながることであり、速やかに承認を与えたいところでした。
 
工事の計画を知った筑前藩下座郡(現朝倉市)の11ヵ村の関係者は連署を持って反対しました。通常でも低い土地であり、堰が完成すればこれまで以上の水害に見舞われることが予測されたからです。久留米藩は筑前藩からの反対もあり、諾否の判断を躊躇していましたが、1712年についに工事着工の英断を下しました。

堰の造成と溝掘りは同時に行われました。総監督は草野又六が引き受け、日に3500人が作業に従事しました。溝工事は順調に進みましたが、堰の造成工事は困難を極めました。数隻の船に大石を積み込み船ごと沈め、小石は俵に詰めて投げ込む作業も行いました。俵は50万俵にものぼったといわれています。恵利堰は完成しました。

Img_85022恵利堰。現在の堰は1989年に改修されたもの

堰の完成によって、古田800町歩、新田400町歩の灌漑(かんがい)ができるようになりました。恵利堰、床島堰、佐田堰の三つの堰を合わせて通称床島堰といいます。

Img_84972_2大堰神社。偉業を成し遂げた5庄屋が祀られている

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不動アオサギ

近くの公園にはかなり大きな池があり、池には島が造ってあります。アオサギが1羽佇んでいました。5、6メートルのところまで近づきましたが、安全だと思っているのでしょう、まったく動きません。天気もよかったので、小さなカメラでもきれいに撮ることができました。

Rimg77242019年2月5日撮影

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愛客メジロ

庭木に置いているミカンを食べにメジロが頻繁にやってきます。枝にとまっているメジロを写すことができました。

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2019年2月5日撮影

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