近況報告

足踏みすれどなお前進

2019年の年が明けました。今年の干支は亥ですが、猪突猛進とはいかないので、今年の心構えを「足踏みすれどなお前進」としました。

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今年の9月には77歳になります。11月には高校の同窓会が大阪で開催されることが決まっており、相互に喜寿を祝うことになります。これはこれで楽しみです。

やるべきことは、たくさんあります。なんといっても安倍政権の悪政には声をあげていかなくてはなりません。憲法、原発、環境、税金……。どの問題も後世に大きな影響を与えます。黙っていれば大きな負の遺産を残すことになります。まだまだ動かなくてはなりません。「微力ではあるが、無力ではない」と意識して。

やりたいことも、たくさんあります。囲碁、卓球、一輪車、読書、映画鑑賞……。囲碁は対局して負ければ、とても悔しい。しかし、この悔しさが前進のエネルギーでもあります。読みたい本はいっぱいあります。興味が広がりすぎて収拾がつかなくなることがあるくらいです。

意欲の土台は健康です。さいわいなことに私はとても健康です。今年は身辺整理もしながら、やるべきこと、やりたいことに取り組みます。

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いわみのニューピオーネ

このほど島根県の叔母がニューピオーネを送ってくれました。箱の中には大きな房が3房も入っていました。口に含んだら甘さが口いっぱいに広がります。粒が大きいので3粒食べたらもう満足します。3房を全部食べてしまうのはもったいないので、親しい人に1房進呈しました。

叔母は毎年のようにこの葡萄を送ってくれます。ありがたいことです。
Rimg69582018年9月13日撮影

同梱されていたしおりには次のように書かれています。「標高300メートル付近に位置する於保知盆地は、真夏時の昼夜の寒暖の差が大きいため、色付きが良い、甘くて美味しいピオーネの栽培には最適な環境です」。

ニューピオーネは、ピオーネという品種にジベレリン処理を行うことで種なしに育てたものだそうです。

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西日本新聞が著書を紹介

8月に前々から準備していた旧東ドイツの作家シュテファン・ハイムの伝記を出しました。タイトルは、『ハイム小伝 現代史を駆け抜けたユダヤ人作家』です。このほど記者の取材を受け、9月7付の西日本新聞筑後版に掲載されました。ちょうど私の誕生日でした。

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進呈した知人、友人から、「ハイムという作家は初めて知った」、「面白かった」、「ドイツの歴史を知ることができた」、「ちょっと難しかった」などの感想がありました。旧東ドイツ出身のドイツ人からは、「ハイムが日本に紹介されてよかった」とお礼を言われました。

ゲルマニスト(ドイツ語・ドイツ文学者)の栗山j次郎さんは、『ハイム小伝』についてかなり詳しい書評を書いてくれました。次のサイトを見てください。リンクを張ることの了解は得ています。

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2018年は「自駆」

今年の目当ての二字熟語を「自駆」(じく)としました。

今年は戌年。犬、駆けるの連想から「駆」を取りました。自ら率先して社会運動に取り組み、自立して事に当たります。一輪車を駆るも含みます。「自駆」に自分の意思で駆けていきたいという意欲を込めました。もちろん、休息を取りながら。

昨年は酉年だったので、「飛翔」としました。高く飛翔することはできませんでしたが、元気に飛び続けることはできました。

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飛翔

2017年になりました。今年は酉年。「酉」、「鳥」からの連想で今年の漢字を「飛翔」としました。空高く飛びめぐり、世界を、社会を、歴史を、そして未来をも見渡したいとの思いを込めました。

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2009年3月に定年退職したとき、旺盛に本を読み、積極的に社会活動に参加し、趣味にも打ち込みたいと決意しました。古希を迎えたときには、99歳まで生きてよし、明日死んでよしの両様に対応する「白寿・白骨生活」を指針としました。実践はきわめて不十分です。

2017年は決意と指針に立ちかえり、雄々しく飛翔したいと思います。

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邑南町矢上の雲海

島根県邑南町矢上は雲海で有名なところですが、私は実際の雲海を見たことがありませんでした。一度は自分の目で見て写真を撮りたいと願っていました。

高校の同窓会が浜田市であったので、この帰りに兄の家に泊まりました。翌日、8時台の広島行きバスに乗るため、瑞穂インターまで送ってもらいました。途中の邑南町矢上で雲海がとてもきれいに見える地点がありました。車を停めてもらいシャッターを切りました。撮影時間はほんの3分ほどです。それでも思いのほかうまく撮れました。こんなチャンスに恵まれるとは本当に幸運でした。

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私が持っているのは小型のデジカメです。雲海の景色を左から連続になるよう3枚撮影しました。家に帰り、Photoshop Elements でパノラマ写真に加工しました。

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浜田での若鮎会同窓会

11月20日、21日に若鮎会の同窓会が浜田市でありました。今回の同窓会は、伊藤さんたち地元の会員がほぼ1年かけて準備してくれました。最初から最後までゆっくりと楽しむことができたのは準備に関わってくれた人たちのおかげです。深く感謝します。

参加者は32名。クラスメイトの3分の1が参加したことになります。70歳を過ぎてからの参加率としては、群を抜いているのではないでしょうか。

私は新幹線で広島駅に着き、北出口で11名の会員に合流しました。2名の会員が妻同伴だったので、総勢13人が宿のバスに乗り込みました。バス席のあちこちで話が弾んでいました。第1日目の会場は、浜田から車で20分ほど南下した山里にある旭温泉「かくれの里・ゆかり」でした。

温泉にゆっくり浸かり、6時から宴会の開始です。司会は伊藤さん。伊藤さんが準備の経過とスケジュールを簡潔に説明したあと、全員で乾杯しました。「初めの30分はしっかり食べよう」との呼びかけがあり、みな食事に専念しました。私の隣は宮脇さんと渡利さん。杯を交わしながら話しました。

そのあと、各会員の一分間スピーチに移りました。私はせっかくの機会だからと手帳を用意してメモをとりました。印象に残ったものを列挙すると…。

-そこそこがんばっている。それ以上でもそれ以下でもない。
-風貌は変わるが、面影は残っている。優しさもそうだ。
-目と耳の調子が悪くなった。
-水泳に力を入れている。
-子どもが勤務でドバイに行っている。2週間に一度スカイプで話している。
-島根中央高校に来て野球をやっている2名の高校生を預かっている。応援をよろしく。
-卓球を週2回やっている。
-ボランティアで忙しくしている。
-71歳まで仕事をしていた。今は月4回のゴルフを楽しんでいる。
-今も現役でがんばっている。
-自分は女コンプレックスだった。今は病を患っているが、みんなが心配してくれているので、それが力になっている。お礼をいう。
-カープ優勝はうれしいのだが、自分は実はかくれジャイアンツファンだ。
-コーラスの指導は後進に譲った。今は楽しんでいる。
-白寿・白骨生活を心がけている。卓球、囲碁、一輪車をやっている。
-週1回卓球をしている。今日は小原さんに会えてよかった。これは最大の収穫だった。
-今も現役だ。渡利さんと中條さんに会えてうれしい。
-小原さんと話せてよかった。
-社交ダンスに打ち込んでいる。三江線には何十年かぶりに乗れるのでうれしい。東京山手線の駅名を全部言える。
-佐田野先生の写真を貼りだしている。見てほしい。グランドゴルフにはまっている。
-三瓶同窓会から2回目だ。みんな年をとったなー。今は猪などを追っかけている。
-グランドゴルフ他をやっている。腕は大海さんとぼちぼち勝負だ。
-毎日サンデーだ。卓球を週2回やっている。
-ナンプレには自信がある。挑戦は歓迎だ。
-中央高校の野球の試合にはすべて行って応援している。

スピーチのあと、私は何人かの友人のところに出向いて話をしました。同窓会ならではのことです。

宴会終了後には会場を替えてカラオケを楽しみました。本当にうまい人、それなりの人がいて、それはそれで楽しい集まりになりました。

二日目朝。バスと乗用車に分譲してまずは川本に向かいました。川戸、川越、因原を抜ける途中、「このあたりに竹内先生の家があった」、「誰君の家はこのあたりだ」と解説が入り、みなは「ふんふん」とうなずきます。ときどきは茶々が入り、笑いが起こります。

川本では、私たちが入学後に学んだ谷校舎を訪ねました。すでに校舎はなく、住宅地に変貌していました。校舎の前を流れていた川にかかる橋には「がくえんばし」の名がありました。それから、川本役場の庁舎に向かいました。庁舎裏には、「川本高等学校発祥の地」と刻まれた石碑が建っていました。川向こうの山には仙岩寺の赤屋根が見えます。

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またバスに乗り込み、口羽に向かいました。江川の両側にはまた会員の生まれ育ったふるさとがありました。若鮎会の会員は山と江川に育てられたということをあらためて実感しました。

口羽駅から私たちは貸し切りの座敷列車に乗って悠々と川本に向かいました。車窓に流れる景色、江川の流れを見ながらの旅になりました。三江線が再来年の3月には廃線となることが決まっています。2輌とも客でいっぱいでした。

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川本に到着。レストラン音戯館で昼食を摂りました。ノドグロの煮付けがありました。ノドグロは最近高級魚に昇格したとか。

川本駅に戻り、ほとんどの会員は列車に乗り込み江津に向かいますが、私はここでみんなに別れを告げました。中野の姉、矢上の叔母などに会いたいので、兄に迎えに来てもらったのです。

二日間で本当にたくさんのことを体験しました。それも楽しくて充実感がありました。計画を練ってくれた関係会員に改めてお礼を言います。ありがとうございました。2年後の大阪若鮎会を今から楽しみにしています。

同窓会向かう列車で考える何を聞こうか何を話そう

車窓より外を見やれば紅葉の木々が流れる山陰の道

卓球の県で三位の成績をなした浜田に行くを喜ぶ

あいまみえ「私は誰?」と問う淑女答えに窮しひらに謝る

切れぎれの記憶をつなぐ同窓生甘きと苦きが交錯をする

合唱で歌ったラテン語「アヴェ・マリア」今なお歌詞は口ついて出る

教壇と我の席とのあいなかに座るお下げを見つめいた日々

五十年前の思いをさりげなく告白したる友のスピーチ

学舎を訪ねて見ればすでになく学園橋がなごりとどめる

口羽なる駅をめざせばあちこちに学友たちのふるさとのあり

江川に沿って列車は走りゆく廃路を惜しむ人びとを乗せ

二年後の再会約しさよならを互いに交わす川本駅で

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尊厳死を考える学習会

くるめ医療生協は9月18日に「尊厳死を考える」と題する学習会を開催しました。これには30人の組合員が参加しました。

Rimg2041講師は、日本尊厳死協会理事・九州支部長の原信之さん。原さんは国立福岡東医療センター名誉院長です。

原さんはまず日本人の平均寿命が延びてきた事実を示しました。1947年には、男性が50.06歳で、女性が53.96歳でした。1960年には、男性が65.32歳で、女性が70.19歳でした。それが2013年になると、男性が80.21歳、女性が86.61歳になりました。

原さんは、「健康で長生きすることが大切だ」ということを前提としつつ、安楽死、尊厳死、延命治療、緩和治療、終末期等の意味を丁寧に説明しました。そして、在宅での看取りが減少し、病院での看取りが増加している現状を示しました。こうしたなかで、患者本人と家族、治療者という三者の意思疎通が必ずしも十分でないと指摘しました。

一人ひとりが健康で意思がはっきりしている時点で終末期の医療について事前に文書で指示しておくのがリビング・ウイルです。講師の原さんは、リビング・ウイルの重要性を説明するとともに尊厳死協会の活動についても紹介しました。

参加者からは、「よくわかり、考えるきっかけになった」、「リビング・ウイルはきちんと書いておくことが大切だとわかった」、「家族と日ごろ話し合っておくことも重要だと知った」、「『逝き方は生き方である』という言葉には考えされられた」、「自然の摂理従って生きていきたい」などの感想が寄せられました。

「健康で長生き」はくるめ医療生協の組合員活動の基本です。私はこの基本を少し敷衍して、「健康なうちに病気にならないよう生活を整えよう。若いときから老後の準備をしよう。老齢期になったら、死の準備をしよう」とくるめ医療生協の内外で周りの人に呼びかけています。

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Rimg2161私と妻はリビング・ウイルの意義を認め、2001年4月に夫婦で尊厳死協会に入会しました。もし私が不治の病にかかり意識がないとき、尊厳死協会のカードは役にたちます。医師からどのような治療をするかの相談を持ちかけられたとき、私の家族は尊厳死協会のカードを示し、「これが本人の意思です」と伝えれば、治療方針は基本的に決まります。その場で悩む必要はないでしょう。

尊厳死の宣言書

私は、私の傷病が不治であり、かつ死が迫っていたり、生命維持措置無しでは生存できない状態に陥った場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言致します。

この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。
したがって、私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、または撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。

1. 私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると診断された場合には、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置はお断りいたします。
2. ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和医療を行ってください。
3. 私が回復不能な遷延性意識障害〈持続的植物状態)に陥った時は生命維持措置を取りやめてください。

以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従ってくださった行為一切の責任は私自身にあることを付記いたします。

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いわみのニューピオーネ

島根県に住んでいる叔母から宅急便が届きました。箱を開けると大きな3房のブドウが入っていました。ニューピオーネという品種です。ちらしには、「ふるさとの地が生んだ黒真珠」と書かれています。一粒頬ばると甘さが口の中に広がります。適度に酸味もあります。思わず、「うまい!」と声が出ました。邑南町産のブドウです。3、4粒食べるともう満足するほどの甘さと大きさです。

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2016年9月9日撮影

生産者メモには「9日7日収穫」と書かれています。私の74歳の誕生日です。叔母にはこどものころからかわいがってもらいました。そして今にいたるまで気にかけてもらっています。本当にありがたいことです。

箱の中にあったちらしには次のように書かれています。「標高300メートル付近に位置する於保知盆地は、真夏時の昼夜の寒暖の差が大きいため、色付きがよい、甘くて美味しいピオーネの栽培には最適な環境です」。邑南町に生まれ育った私は、今は遠く離れて生きていますが、何か誇らしい気持ちになります。

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タラの芽を育てる

校区卓球クラブのメンバー7人で3月30日に熊本県菊池市の菊地公園に花見に行きました。ちょうどこの日は雨が降ったり止んだりのあいにくの天気でした。

それでも私たちは温泉に入り、ごちそうを食べて大満足。行きも帰りも道の駅に寄って買い物も楽しみました。私はデコポンとタラの枝を買いました。

タラの枝は水につけておくと芽が伸びて食べられます。固い芽が10日もすると大きく食べごろになりました。一回目は酢味噌にして食べました。

2回目は天ぷらにして食べました。やや風味に欠けるというのが率直な感想です。自然のなかではなく、水栽培だったためでしょうか。

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1枚目は2016年4月1日、2枚目は4月8日、3枚目は5月5日撮影

私は島根県の山間地に生まれ育ったのにタラの芽にはほとんど記憶がありません。私の祖母は山野草にも詳しかったので、料理していたはずです。記憶にないのは、私に関心がなかったからでしょう。

祖母が作ったサンショウの葉っぱの佃煮はよく覚えています。これは絶品でした。もう一度食べて見たいもののひとつです。

菊池公園には武将の菊池武光の大きな像がありました。菊池武光については先に「大保原の戦い」で触れました。

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2016年4月30日撮影

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