近況報告

中学校のあいさつ運動について

校区自治会のお知らせに併せて久留米市立諏訪中学校の「学校だより」が届きました。2016年7月の特集はあいさつ運動についてでした。見出しは、「〈あいさつボランティア大使〉平岡三光先生来校!」となっています。

平岡さんは西日本短期大学付属高校を退職後、「あいさつボランティア」として国内の小・中・高学校をまわり、朝のあいさつ運動を展開しているとのことです。全国ですでに3,600以上の学校を回っているというので驚きです。

平岡さんは7月5日に諏訪中学校に来て、大きな声で生徒一人ひとりにあいさつをし、握手をし、あいさつ運動に参加したと紹介されています。

日常のあいさつが大切だということは、誰も否定しないでしょう。 

平岡さんが大切にしているという「あいさつの基本精神」は、次のとおりです。

 あ……あかるい笑顔で元気よく、美しい姿勢を忘れずに。
 い……いきいきした目で、いつでも、どこでも、だれにでも。
 さ……さわやかな声で、先手必勝の意味で、先に頭をさげる。
 つ……つねに、相手の人格を尊重して

平岡さんは、「あいさつで大切な五つのS」も提唱しています。

 S……ストップ(Stop) あいさつは立ち止まってしましょう。
 S……スマイル(Smile) 笑顔であいさつができたら、さわやかな気持ちになります。
 S……スパーク(Spark) はじけるように明るく、元気にしましょう。
 S……スピード(Speed) 相手の人より先に声を出します。
 S……スピリット(Spirit) 相手の人を尊敬する心のこもったあいさつを心がけましょう。 

私は、平岡さんの「あいさつの基本精神」、「大切な五つのS」が中学校で推奨されていることに大きな疑問を感じました。

「あかるい笑顔で元気よく、美しい姿勢をわすれずに」は、まあまあわかります。「いきいきした目で、いつでもどこでも、だれにでも」の項目ですが、生徒は学校にいる間はつねにあいさつをしていなくてはなりません。勉強どころではありません。生徒が街中に出ていったときにはどうすればいいのでしょう。「こんにちは」と言いつづけるのでしょうか。

「さわやかな声で、先手必勝の意味で、先に頭をさげる」。教室に一番に来た生徒は、「先手必勝」を期して絶えず入り口に注意を向けていなくてはなりません。入室してくる生徒より早く「おはよう」と言うためです。教室に入ってくる生徒も「先手必勝」をねらうなら、入り口の戸を開けるやいなや「おはよう」と言わなくてはなりません。そこで先にあいさつをした方が勝ちになります。そのあと、教室にいる二人はお互いに負けられないと三人目の生徒の入室を待ちます。すべての注意を入り口に向けなければなりません。予習などをしている余裕はありません。

「ストップ(Stop) あいさつは立ち止まってしましょう」。生徒は登下校のおり何度立ち止まらなくてはならないでしょう。そのつど笑顔をつくらなくてはなりません。しかも、「相手の人を尊敬する心のこもったあいさつ」が求められます。

ちょっと冷静に考えれば、このようなあいさつ運動は不可能だとわかるはずです。それをあえて教育方針の中に組み込むのはいかがなものかと思います。諏訪中学校の先生たちは、「こんなあいさつは自分にだってできない。生徒に勧めるには無理がある」と考えなかったのでしょうか。言えなかったのでしょうか。

近くの郵便局にかつて自動音声装置が取り付けられていました。利用者が入口から入ると「いらっしゃいませ」、利用者が出口を出ると「ありがとうございました」と音声が流れていました。機械の音声だから、いつも同じでもちろん心はこもっていません。私はこの装置に強い違和感を持っていました。そして、「郵便局に強盗が入ってきたら、『いらっしゃいませ』、逃げ去るときには、『ありがとうございました』と言うのだろうな」と思っていました。さすがにこの装置ははずされました。一般客と強盗を区別する装置の開発は難しいでしょう。

諏訪中学校のテーマは、「あいさつでひろげよう! 学校・家庭・地域の和と輪!」だとか。あいさつで学校、家庭、地域の和と輪をつくるという発想には無理があります。小さな親切運動から世界平和をつくることはできません。

平和が保たれ、人権が守られ、男女が平等に活躍できる社会をめざすことが基本になければなりません。あいさつはそういう社会のなかで心のかよう質の高いものになっていくのではないでしょうか。

※この文章は、福岡県民間教育研究団体協議会の機関紙「福岡の民間教育」(2020年2月5日発行)に掲載されたものです。

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大刀洗小学校のランチルームを見学

大刀洗町立大刀洗小学校のランチルームを見学しました。あらかじめ教育課の許可を得ていたので、小学校に来意を告げるとすぐに一人の先生が私を案内してくれました。同校の児童数は百八十人です。ランチルームの広さは、三八一平方メートル、調理室とホールを合わせると建物全体の広さは、五六六平方メートルです。

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昼十二時にはランチルームはまだひっそりとしています。長いテーブルは三脚ずつ縦につないで、十の島が作られています。床はモップをかけやすいように椅子はテーブルの下に懸けられています。一班は縦割りの六人です。テーブルには名前と役割を書いたカードが置かれています。

十二時十分になるとエプロン、帽子、マスクをつけた生徒たちが続々とやってきました。すでに手洗いを済ませているとのことです。テーブルを拭き、滅菌室からトレイを運び出し、テーブルに並べます。トレイに箸を置く子ども、牛乳を置く子ども。それぞれのテーブルの島には配膳テーブルが一つずつ備えつけてあります。ワゴンで運ばれた、ご飯、2種類のおかずを当番が茶碗や皿につぎわけます。生徒はそれぞれ自分の分担を手際よく作業を進めていていました。

給食係が「足ぺた、腰立(ようりつ)」を呼びかけると、前屈みになり、次に背筋を伸ばします。前では別の生徒がペンギンの絵を掲げています。「足ペタ、腰立」とは、かかとを床につけ、次に背筋を伸ばすためのかけ声で、ペンギンはよい姿勢のモデルキャラクターです。ペンギンは子どもたちが発案したものだとか。以上は先生の解説でやっとわかりました。

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「いただきます」の唱和で生徒たちは食べ始めました。10分間はおしゃべり禁止です。量が多くて食べきれない低学年の子どもは高学年の子どもに分け与えていいとのことです。そうしたやりとりをしているところも見ました。

この日のメニューは、ご飯、中華風の煮物、春雨サラダ、牛乳でした。パンの日が週に1日あります。私は何人かにインタビューをしました。どの子ども、「おいしい」と笑顔で答えてくれました。縦割りでいっしょに食事をすることについて、六年生の児童は、「低学年の子どもと一緒に食事をするのは楽しいし、思いやりの心が育ち、自分も優しくなれる」と模範的な答を返してくれました。先生たちも一緒に食事をしています。校長先生は、十一時五十分に検食をします。「時代劇でいう毒味役ですね」と私が冗談を言ったのですが、あまり受けませんでした。

食事が終わると、うがいの時間が設けられていました。何ヵ所かの水場に分かれてうがいをし、それからは後片付けです。箸を集める子ども、牛乳パックを折りたたむ子ども、食器を重ねる子ども、仕事はてきぱきと進められていて見ていて気持ちがいいくらいです。

食物アレルギーのある子どもには、特別に食事を作っているとのことでした。ランチルームは、衛生上の観点から原則として食事以外の催し物には使われません。

最後には係が残り、テーブル拭きと床拭きをします。これで昼食の時間は終わりです。

大刀洗町には小学校が4校ありますが、すべての小学校にランチルームがあります。

給食はランチルームとカウンターで仕切られた調理室で作られています。ところで、この調理室は今年の夏に空調施設が整えられました。調理員に、「空調がついてどうですか」という私の問に、「とっても快適で働きやすい。ありがとうございます」と私にまでお礼を言われました。

私が大刀洗小学校のランチルームを見学したいと思ったいきさつは次のとおりです。

筑後地区社会保障推進協議会は、毎年、社会保障の充実を求めて筑後地区の六市三町と懇談をしています。自治体キャラバンと称しています。要請は社会保障が主要な柱となっていますが、子どもの医療・教育環境改善の要請項目もあります。小中学校の普通教室、特別教室などへのエアコンの設置なども要求しています。大刀洗町との懇談のなかで、大刀洗町の小学校にはランチルームがあり、空調設備も整えられている、調理室にもエアコンが設置されたと聞きました。自校給食で、ランチルームがあり、それぞれに空調設備があると知り、是非とも見学したいと教育課に申し出て許可をもらったのです。

大刀洗町では三十年前からランチルームがあったとのことで、地元の人にはごく当たり前のことでしたが、私にはとても新鮮な情報でした。ちなみに久留米市では四十六校中二校(旧城島町)のみにランチルームがあります。

校舎の廊下は板張りです。校庭、中庭には芝生が植えられています。遊び回るには快適だと思いました。南を臨むと耳納連山があり、環境も快適です。もう一度小学校に行けるのなら、こんな学校がいいなと思いながら大刀洗小学校を後にしました。

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明けましておめでとうございます

皆さん、2020年がいい年になりますように願っています。

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安倍政権の政治は悪すぎます。「桜を見る会」のでたらめを許してはなりません。これからも核兵器をなくせ、憲法を守れ、原発はなくせ、消費税は下げろ等々の運動に関わっていきます。オリンピックでこれらの問題がかすんでしまうのが心配です。いまだ喜寿、「微力ではあるが、無力ではない」と自分に言い聞かせて動きます。

読書も、映画も、音楽鑑賞もしたい。卓球も囲碁も強くなりたい。欲張りすぎではありますが、意欲は十分です。今年1年を駆けぬけます。

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2019年を振り返る

2019年も残りわずかになりました。いろいろなことがありましたが、私にとって印象的なものを拾ってみます。

■1月、渡辺仙州編訳『三国志』(全4巻)を読了

ジュニア版ですが、とても面白い本です。私は2度読みました。12月に九州国立博物館で開催された特別展「三国志」につながりました。

■6月、くるめ医療生協の理事を退任

6月の総代会で私は24年間続けた理事を退任しました。その期間中17年は理事長を務めました。9月には関係者40人がご苦労さん会を開催してくれました。感謝状と花束をもらいました。24年、17年の記録は当分の間は破られないでしょう。長いだけがいいとは言えませんが。 

■7月、一輪車教室が閉室

酒井先生と松隈先生が主宰してきた一輪車クラブは7月に33年の幕を閉じました。私も数年間インストラクターの一人として関わってきたので残念な気持ちもありました。子どもたちから感謝状をもらい、大事にとっています。

■8月、韓国ドラマ「太祖王建(ワンゴン)」を鑑賞

「太祖王建(ワンゴン)」を観ました。全200話という長大ドラマです。1話が50分くらいですから、時間にすれば166時間になります。5月には、「根の深い木-世宋(セジョン)大王の誓い」を鑑賞しました。全24話、1話が1時間10分で、全部で28時間の物語です。6月には、「大王世宋(テワン・セジョン)を観ました。1話1時間で全86話、86時間の長大ドラマです。世宋はハングルを創成した王として有名です。

■9月、冊子「筑後地方の歴史を訪ねる」を作成

福岡県民医連の機関紙に投稿していた「歴史探訪」の21本の記事をまとめて冊子にしました。100冊作り、友人・知人に進呈しました。「面白かった」という感想をたくさんもらいました。お礼にとお酒をくれた人もいました。残りは数冊になりました。

■10月、短歌が掛け軸の書に

元号は使いたくない使わない主権は民に存するがゆえ

大阪の(以前、ブログには京都と書きまたが間違いでした)書家が私の短歌を掛軸に書いて京都市美術館別館で開催された展覧会に出しました。京都に住んでいる息子が観にいってくれました。

■10月、兄弟会を開催

姉、兄が高齢になり、健康にも不安を抱えているので親しい叔母も一緒に兄弟会をやりました。兄弟3人でホテルの一室に寝ました。こんな状況は初めてで、最後になることでしょう。

■10月、小中学校の同窓会に出席

小中学校の同窓会が島根県邑南町で開催されました。小中学校9年間一緒に学んだので、兄弟より親しい間柄です。30人中8人が集まりました。

■11月、大阪の高校同窓会に出席

大阪市のホテルグランヴィア大阪で開かれた高校の同窓会に参加しました。1961年に卒業した同級生の集まりで、「若鮎会」と称します。会の名前は、校歌のの歌詞「若鮎走る江川の…」に由来します。今回3年ぶりの開催で23人が参加した喜寿同窓会でした。

■12月、久留米囲碁大会で団体3位

久留米囲碁大会が久留米市役所のくるみホールで開催され、各校区から19チーム、95人がが出場しました。私は西国分第2チームで大将を務めました。チームとしては2勝2敗でしたが、3位になりました。大会の模様を地元のくーみんテレビが放映しました。私も記者のインタビューに答えて出ています。

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大阪開催の同窓会参加

11月14日、大阪市のホテルグランヴィア大阪で開かれた高校の同窓会に参加しました。1961年に卒業した同級生の集まりで、「若鮎会」と称します。会の名前は、校歌のの歌詞「若鮎走る江川の…」に由来します。

今回3年ぶりの開催で23人が参加した喜寿同窓会でした。受付前のロビーで参加者は三々五々笑顔で再会を喜び合っていました。夕方の5時半から正式な同窓会が始まりました。参加者は三つのテーブルに分かれて座り、最初にこの3年の間に鬼籍に入った2人の学友に黙祷を捧げました。乾杯の後はしばらく同じテーブルの同窓生と歓談しました。アルコールが回ってきたこところで、思い思いに意中の人の近くに行って昔話に花を咲かせていました。

宴も中盤になった頃、幹事の呼びかけで近況報告が始まりました。参加者の発言を拾ってみますが、聞き取れなかったところもあり、正確な記録とは言えません。ご容赦を。
□ まだ教員を続けている。医者、介護者、デイサービスがそろっている住宅に住んでいる。
□ 卒業後、今日初めて見た人がいる。懐かしい。野菜中心の食事をしていて、元気だ。
□ 高校の生徒を預かっている。高校に女性の野球部ができた。応援をよろしく。
□ 22歳から27歳まで大阪にいた。健康のため、卓球を始めた。シェークハンドだ。毎日ピアノに触っている。ラジオ深夜便でいい歌を聴いたらネットで楽譜を探している。「エリーゼのために」も弾けるようになった。
□ 大阪に住んでいた。妻の実家がある島根に移住して6年になる。医療検査を受けたが特に心配することはないようだ。
□ 元気にボランティアをやっている。卓球、囲碁では上達をめざしている。
□ 月に1度神戸に行って仕事をしている。75歳までと思っていたが、そこは過ぎた。85歳までいけそう。
□ 2年前まで仕事をしていた。妻が弱いので、今後はどうかな。
□ 77歳になった。結婚50年になった。まだ楽しくやっている。
□ 現在も月10日くらい仕事をしている。ウォーキングをして昼寝をして、楽しく元気にやっている。
□ 健康のためには何もしていない。犬とつきあって生活している。
□ 今回来ることができるか心配だった。ゴルフをしている。ボランティアで施設を訪問して、オペラ、童謡、歌謡曲を歌っている。
□ 最近、詩吟を始めたが、発表会で2位になった。夫とは仲良く、日々2人でがんばっている。

宴会を後、場所を上階に移して懇談を続け、1日目の催しが終わりました。

翌15日、一行はホテルからタクシーで天馬橋に移動し、そこから水陸両様バスに乗り込みました。陸上の道路を走るときはバスであり、水の中に入れば船になる乗り物です。私はもちろん初めてです。ほとんどの同級生が珍しがっていました。陸を歩き、水の中を泳ぐるアヒルの連想から、この観光企画はダックツアーと称しています。所要時間は75分。街中を走りながら有名な通り、大阪府庁、大阪城などを見学しました。日本で一番長い商店街も2、3秒で見るという芸当をガイドさんの指南でやってのけました。このガイドさん、説明は早口ながら歯切がよく、そのうえユーモアもありわれわれを最初から最後まで楽しませてくれました。ある地点からバスはそのまま水の中に入り、船に変身しました。船はゆっくり大川を天満橋まで下り、そこでUターンして引き返しました。川岸には造幣局も。ここでオリンピック、パラリンピックのメダルを作るのだとか。川の両岸には桜の木が多く、花の季節には最高の船遊びになることでしょう。

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われわれ一行は天満橋に戻って昼食をとり、大阪駅へ。そこで解散しました。老人性頑固さも出てきた参加者は指示があってもなかなか従わないため、幹事は大変そうでした。大阪の幹事の皆さん本当に苦労さまでした。厚くお礼を言います。

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兄弟会と同窓会

兄が病気で何事にも弱気になり、姉も身体が不自由になってきているため9月13日に兄弟会をしました。私たちは3人兄弟ですが、葬式等をのぞいて3人そろってゆっくり話をしたことがありません。親しくしている叔母にも参加してもらいました。

場所は邑南町矢上の「いわみ温泉・霧の湯」。4人で夕食をとり歓談しました。私は祖父や祖母、母、親戚にまつわる話を聞きました。姉が、姉と私の写真を持ってきてくれました。生家の前で姉と私が写っています。縁側の下では鶏を飼っていました。前面の格子には覚えがあります。昼間には鶏を庭に出し夕方には縁の下に追い込んでいました。私はというと戦後のドラマに出てくる貧しい少年の格好そのものでした。若くして病死した叔父の写真もありました。兄弟3人は宿に泊まり、叔母は近くなので帰りました。

翌14日には小中学校の同窓会が邑南町の旅館で開催され、これにも参加しました。女性が6人、男性が2人でした。午後3時に集合し、午後5時から夕食。2人は帰宅しましたが、6人は夜11時過ぎまで語り合いました。翌日は朝食の後も11時過ぎまでおしゃべり。意識不明レベルの脳梗塞から、そして、要介護5状態から回復した2人の体験談には迫力があり、他の者は神妙に耳を傾けました。私は、卓球に囲碁、一輪車をやっていると近況報告をしようと心づもりをしていましたが、機会を捉えることができませんでした。それでも皆で楽しい時間を過ごしました。来年秋にはもう少し広く呼びかけて同窓会をやろうということになりました。

14日の早朝、兄に山の中腹にある展望台に連れていってもらいました。ここは雲海を見ることができる場所です。霧は浅く、雄大な雲海とはいきませんでした。それでも、江川方面から山を越えて滝のように流れ込んでいる霧の様子を見ることができました。深い雲海を見ることができるのは、前日雨が降って翌朝青天で冷え込んだときだと宿の人に教えてもらいました。今回は前日は雨が降らなかったため霧も浅かったのだと思われます。

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2019年10月14日撮影

同窓会会場の食堂に「春夏冬 二升 五合」と書かれた置物がありました。私は、「春夏冬」の意味はわかりましたが、後半がわかりません。宿の主人に訊いて合点しました。さて、置物の文の意味するところは何でしょうか。お考えください。

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足踏みすれどなお前進

2019年の年が明けました。今年の干支は亥ですが、猪突猛進とはいかないので、今年の心構えを「足踏みすれどなお前進」としました。

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今年の9月には77歳になります。11月には高校の同窓会が大阪で開催されることが決まっており、相互に喜寿を祝うことになります。これはこれで楽しみです。

やるべきことは、たくさんあります。なんといっても安倍政権の悪政には声をあげていかなくてはなりません。憲法、原発、環境、税金……。どの問題も後世に大きな影響を与えます。黙っていれば大きな負の遺産を残すことになります。まだまだ動かなくてはなりません。「微力ではあるが、無力ではない」と意識して。

やりたいことも、たくさんあります。囲碁、卓球、一輪車、読書、映画鑑賞……。囲碁は対局して負ければ、とても悔しい。しかし、この悔しさが前進のエネルギーでもあります。読みたい本はいっぱいあります。興味が広がりすぎて収拾がつかなくなることがあるくらいです。

意欲の土台は健康です。さいわいなことに私はとても健康です。今年は身辺整理もしながら、やるべきこと、やりたいことに取り組みます。

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いわみのニューピオーネ

このほど島根県の叔母がニューピオーネを送ってくれました。箱の中には大きな房が3房も入っていました。口に含んだら甘さが口いっぱいに広がります。粒が大きいので3粒食べたらもう満足します。3房を全部食べてしまうのはもったいないので、親しい人に1房進呈しました。

叔母は毎年のようにこの葡萄を送ってくれます。ありがたいことです。
Rimg69582018年9月13日撮影

同梱されていたしおりには次のように書かれています。「標高300メートル付近に位置する於保知盆地は、真夏時の昼夜の寒暖の差が大きいため、色付きが良い、甘くて美味しいピオーネの栽培には最適な環境です」。

ニューピオーネは、ピオーネという品種にジベレリン処理を行うことで種なしに育てたものだそうです。

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西日本新聞が著書を紹介

8月に前々から準備していた旧東ドイツの作家シュテファン・ハイムの伝記を出しました。タイトルは、『ハイム小伝 現代史を駆け抜けたユダヤ人作家』です。このほど記者の取材を受け、9月7付の西日本新聞筑後版に掲載されました。ちょうど私の誕生日でした。

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進呈した知人、友人から、「ハイムという作家は初めて知った」、「面白かった」、「ドイツの歴史を知ることができた」、「ちょっと難しかった」などの感想がありました。旧東ドイツ出身のドイツ人からは、「ハイムが日本に紹介されてよかった」とお礼を言われました。

ゲルマニスト(ドイツ語・ドイツ文学者)の栗山j次郎さんは、『ハイム小伝』についてかなり詳しい書評を書いてくれました。次のサイトを見てください。リンクを張ることの了解は得ています。

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2018年は「自駆」

今年の目当ての二字熟語を「自駆」(じく)としました。

今年は戌年。犬、駆けるの連想から「駆」を取りました。自ら率先して社会運動に取り組み、自立して事に当たります。一輪車を駆るも含みます。「自駆」に自分の意思で駆けていきたいという意欲を込めました。もちろん、休息を取りながら。

昨年は酉年だったので、「飛翔」としました。高く飛翔することはできませんでしたが、元気に飛び続けることはできました。

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