書評

遠藤寛子の小説『算法少女』を読む

Photo_20190921072901 市立図書館には郷土作家のコーナーがあります。安部龍太郎、葉室麟、酒見賢一、乙一などの作品が並べられています。文庫本の棚に『算法少女』がありました。タイトルに惹かれて手に取ってみると、作者の 遠藤寛子は三重県の出身です。「この本がどうしてこの棚に?」と不思議に思ってパラパラとページをめくってみると筑後有馬藩が関わっている小説です。図書館では本を借り出さず、家でディジタルデータを購入しました。kinndleビューアーは活字を大きくして読むことができるので、私にとっては好都合です。

物語は江戸中期1700年代の江戸が舞台です。医者の娘であるあきは算法の才があり、父の指導もあってめきめきと力をつけていきます。あきの父は大阪で算法を学んだ人です。ある日、旗本の息子が神社に奉納した算額に誤りがあることを見つけたあきは、一躍有名になります。

よく知られているように久留米藩主である有馬頼徸(よりゆき)は日本で高名な和算家でした。あきの評判を耳にした頼徸は、あきを娘の教育係にと希望をしますが、関孝和の流れをくむ家臣の藤田貞資が難色を示します。大阪の算法を見下しているためです。このあたりからストーリーは危機をはらんだ複雑な展開をします。あきは結局藩主の娘の教育係にはならず、市井で算法塾を開くことになります。あきは父の協力も得ながら『算法少女』という本を出版します。これは数学の本で実在します。

物語の中では1754年に久留米藩で起こった宝暦一揆も重要な背景になります。一揆は、久留米藩が藩財政を立てなおすため8歳以上の男女すべてに人別銀という人頭税を課したことがきっかけでした。数万人の百姓が決起しました。藩は人別銀の廃止の要求を吞み、一揆は収束しました。しかし、死刑37人等の厳しい処罰が下されました。一揆が治まった後のことです。あきは、一揆に加わり罰を受けた農民を助けるため勇敢な行動に出ます。これが効を奏して一揆関係者の罪を軽減することに成功します。

正確な円周率求めるために当時の学者たちがどのような苦労をしたのか、西洋の円周率はどのような発達を遂げたのかなどについて作品には書き込まれています。小説『算法少女』は、学会、教育界から再販を求める声があがり、筑摩書房から再版本が出版されるといういきさつも「あとがき」の中で語られています。

上質な児童文学です。私は宝暦一揆について調べたこともあり、その部分もたいへん興味深く読むことができました。

箕田源二郎の挿絵が適所に配されていて、江戸時代の雰囲気を感じとれます。

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渡辺仙州編訳『三国志』を読む

偕成社版の渡辺仙州編訳『三国志』(全4巻)はジュニア向けの小説で、活字も大きめで漢字にはルビがふってあります。登場人物の心理描写は少なく、事件はテンポよく進みます。私はこの小説を以前にも読んだことがあり、今回は二度目です。

編訳者の渡辺仙州は次のように解説しています。

中国では、『三国志』といえば陳寿の記した正史『三国志』を指し、関羽や張飛が超人的な力で大活躍する物語は『三国演義』といいます。しかし日本では『三国志』というと『三国演義』を意味します。

渡辺仙州の『三国志』は劉備に寄りそい、関羽や張飛の活躍が大きな部分を占めています。孔明の描写では神業とも言える洞察、戦略、知略が炸裂します。曹操や孫権の扱いは劉備に較べればやや軽いと言わなければなりません。

物語はとにかく面白い。ストーリーはテンポよく展開します。英雄たちの駆け引き、謀略、激突がこれでもかこれでもかというほど続きます。登場人物は数百人にのぼります。

絵は佐竹美保。登場人物はそれぞれ個性的に描き分けられています。

私は中国の歴史ドラマ『三国志』(全95話)を観たことがあります。渡辺仙州の『三国志』はドラマのエッセンスともいえる内容です。映画『レッドクリフ』(Part 1、2)も観ましたが、これは「赤壁の戦い」をクライマックスとするものでした。

私は北方謙三著『三国志』(16巻)を読み進めており、現在は第10巻の終盤にさしかかっています。読み始めたのは数年前なので、最初の方の記憶は薄れています。北方謙三は、渡辺仙州や歴史ドラマの描き方とは異なり、曹操、劉備、孫権に対して等距離から描いています。孔明も過度に神格化していません。張飛の妻が非常に魅力的に描かれているのが印象的です。

渡辺仙州の『三国志』は、蜀に次いで呉が滅び、魏一国が覇を握り、司馬懿の孫である司馬炎が晋を建るところで終わります。三国が鼎立した時代に邪馬台国の卑弥呼は魏に朝貢し、「親魏倭王」の称号を授けられます。

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小説『李陵』を読む

中島敦の小説『李陵』は次のように始まります。

漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉(きとい)・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜鄣(へんさいしゃりょしょう)を発して北へ向かった。阿爾泰(アルタイ)山脈の東南端が戈壁沙漠(ごびさばく)に没せんとする辺の磽确(こうかく)たる丘陵地帯を縫って北行すること三十日。朔風(さくふう)は戎衣(じゅうい)を吹いて寒く、いかにも万里孤軍来たるの感が深い。漠北(ばくほく)・浚稽山(りょうけいざん)の麓(ふもと)に至って軍はようやく止営した。……突兀(とつこつ)と秋空を劃(くぎ)る遠山の上を高く雁の列が南へ急ぐのを見ても、しかし、将卒一同誰一人として甘い懐郷の情などに唆(そそ)られるものはない。それほどに、彼らの位置は危険極まるものだったのである。

私は高校生のときこの小説に出会いました。一見して名文だとわかりました。しかし、私の当時の国語力では読了することができませんでした。「いつか力がついたら読もう」と思いました。その思いは小さいながらもずーっと続いていました。

今年になってコンビニで作・久保田千太郎、画・久松文雄『李陵』(上下)を見つけ、買い求めました。ストーリーと絵がマッチして面白く読みました。それではと小説『李陵』を読み始めました。小説には注がつけられています。これをていねいに参照していくと歴史的背景もわかり、小説として楽しむことができました。読解力も高校生の頃よりあがっています。コミック『李陵』の感想はこちら

紀元前100年、漢の武帝の時代です。漢は北方の騎馬民族である匈奴の侵略に頭を痛めていました。何度も討伐軍を出して匈奴を征服しようとしますが、目的を達成することができません。
 
李陵、蘇武(そぶ)、司馬遷(しばせん)、任安(じんあん)は漢では信頼しあう仲間です。

捕虜交換の任務をもって匈奴の地へ向かった蘇武(そぶ)は、味方の裏切りにあい、匈奴の捕虜となります。

李陵は蘇武を助け出したいとの思いもあり、匈奴軍討伐を申し出ます。しかし武帝は李陵に歩兵5000人しか与えません。馬を自在に操る数万、10万の匈奴軍に対して歩兵だけの軍隊では勝ち目はありませんが、しかし、李陵軍は果敢に戦います。最終的に戦いに敗れ、李陵は捕虜となります。

情報の行き違いから李陵は漢の逆賊とされ、家族全員が処刑されます。李陵は逡巡の末匈奴にくだり、匈奴の将軍になります。

先に匈奴の捕虜となった蘇武は極寒の地に追いやられても頑として漢に忠誠を尽くし続けます。李陵は蘇武のようにはならなかったし、なれなかった自分自身の生き方を折にふれ考えます。李陵の逡巡、悩みがこの小説の柱になっています。

漢の武帝が死に、新帝になってから李陵には漢に戻るようにと説得の使者がやって来ますが、李陵は断ります。一方、蘇武は漢に帰還します。

漢において李陵を弁護した司馬遷はあらぬ疑いをかけられ、宮刑(男子の生殖機能を取り去る刑罰)に処せられ投獄されます。小説『李陵』は、主人公李陵の物語であるとともに、歴史家司馬遷の物語となっています。司馬遷は出獄後、130巻、52万6千500文字の「史記」を完成しました。

中島敦の修飾語の少ない名文をかみしめながら、短編なので3回ほど読みました。率直な感想を言えば、李陵の悩みの叙述が詳しすぎ、司馬遷のくだりが長すぎて物語のまとまりを損ねているように思いました。

高校時代から気になっていた宿題を50年経ってやっと終えたという心境です。

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コミック『李陵』を読了

コンビニの書籍コーナーにコミック『李陵』(上・下)が置いてありました。面白そうなので買い求め、読みました。史記シリーズの5と6です。画・久松文雄、作・久保田千太郎。ストーリーの展開がよく、本当に楽しむことができました。

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絵について言えば、登場人物はそれぞれ個性的に描き分けられています。荒涼たる砂漠、険しい山、無数の兵たち、激しい戦闘場面等々、どれをとっても素晴らしいできです。一つひとつの絵をていねいに見ていかなければ、作者に失礼になると思わせるほどです。

舞台は紀元前100年頃、前漢武帝の時代。漢民族は、モンゴル高原で活躍した遊牧騎馬民族の匈奴(きょうど)の侵略に頭を痛めていました。武帝はたびたび大軍勢を派遣して匈奴討伐を試みましたが、成功しませんでした。様々な事情が重なって勇敢で優秀な武将・李陵が5000の歩兵を率いて匈奴軍と戦うことになりました。李陵軍は圧倒的な数の匈奴の騎馬兵と戦いましたが、敗北。李陵は匈奴の捕虜となります。

李陵は捕虜となるも屈せず、命を長らえますが、この間に李陵は間違った情報により武帝の怒りを買い、一族が虐殺されます。こうした事情を背景にして、李陵は匈奴の右校王(第一将軍)になります。後に李陵は漢軍と複雑な心情を抱きながら戦うことになります。

李陵の仲間には蘇武(そぶ)、司馬遷(しばせん)、任安(じんあん)がいます。蘇武は李陵に先立ち匈奴の捕虜となりますが、屈することなく極寒の地でかろうじて命をつないでいます。司馬遷は李陵を弁護したため、宮刑(男子の生殖機能を取り去る刑)に処せられました。任安は武帝への謀反を企てたとの汚名をきせられ処刑されます。

物語は、どんなに厳しい状況の中にあっても漢への忠誠を貫き通した蘇武と、やむをえぬ事情があったとはいえ匈奴に屈した李陵の対比のなかで進行します。

李陵を捕虜として手厚く遇した匈奴の王・単于(ぜんう)、李陵が仕えた左賢王(さけんおう)が野蛮人としてではなく、非常に人間味豊かな人物として描かれているのが印象的でもあり、この物語の長所となっています。

司馬遷は、130巻の『史記』を著したことで有名ですが、この物語の中では李陵の胸中を『史記』に書き込んだことになっています。

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コミック『秦始皇帝』を読む

コンビニの本棚に並んでいた『秦始皇帝』(しんのしこうてい)という本に目がいきました。面白そうだと手に取りましたが、これは下巻でした。上巻から読みたいと思い、他のコンビニで探しましたが、見つけることができませんでした。後日、また最初のコンビニに行くと上下巻がそろっていましたので、買い求めました。「秦始皇帝」に目がいったのは、先日、九州国立博物館で「秦始皇帝と大兵馬俑」展を見学したからです。

博物館の音声ガイドでは、小国だった秦が周りの国を平定していった歴史をわかりやすく解説していました。周辺国のレベルの高い文物を取り入れたことも展示で示されていました。

コミック『秦始皇帝』(画・久松文雄、作・久保田千太郎)は、全部で600ページ余りある大作です。絵は端正で、本の裏表紙にある「巨匠・久松文雄が描く中国古典の世界」というコピーには頷けます。

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物語は中国全土が秦、韓、趙、魏、斉、楚、燕の七国にわかれて争っていた戦国時代の末期、紀元前280年頃から始まります。

七国の一つである秦の王は安国君(あんこくくん)でした。安国君の息子・子楚(しそ)は、趙(ちょう)の都・邯鄲(かんたん)に人質として住んでいました。邯鄲の大富豪・呂不韋(りょふい)は、自らの野望を叶えるため全財産をかけて秦の公子・子楚に肩入れします。策略は奏功し、子楚は20数人の異母兄弟を抑えて秦王になり、次いで子楚の息子・政(せい)が秦の王になります。呂不韋は政の時代には相国(しょうこく)となって権力を掌握し、力量を発揮します。

物語の舞台は約2200年前の中国です。歴史を下敷きにしているとはいえ、そこは物語。何人かの絶世の美女が登場し、大きな役割を果たします。美しく魅力的に描かれた美女はコミックの見所の一つです。

秦王の政が次々に周辺国を陥れていく推進力は、やはり軍事力です。敵味方の間での駆け引きと壮絶な戦いのなかでストーリーは展開します。

紀元前221年に政はついに中国を統一し、始皇帝を名乗ります。政が秦王に即位してから26年目のことです。

コミックでは、秦王の政が広大な陵墓の建設に取りかかかっていることが軽く触れられいますが、兵馬俑にまでは及んでいません。始皇帝が万里の長城の建設に取りかかったことも描かれていいます。

「秦始皇帝と大兵馬俑」展を見学し、この時代の高い文化を垣間見ていただけに、古代中国の歴史を身近に感じ、スリリングに展開するストーリーを楽しむことができました。

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マンガ版『筑紫の磐井』

市立図書館に配架されていたマンガ版『筑紫の磐井』(つくしのいわい)を借り出してきて読みました。本屋でこの本を手に取って見たとき絵がきれいで、読みたいという気持ちは強かったのですが、購入は躊躇していました。

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マンガの作者である鹿野真衣は神奈川県藤沢市生まれで、結婚を機に八女市に移り住み、磐井の歴史を知るなかでマンガにしようと思い立ちました。

マンガ版の原作は、太郎良盛幸の小説『筑紫の磐井』です。私はすでに読んでいたので、ストーリーは知っていました。マンガ版は絵で理解でき、小説とは違った面白さがありました。絵は女性作家ならではの繊細さが特徴です。

小説は、現在の八女市一帯の支配者である磐井が、九州の北部の国々を束ねる連合国の盟主であるという設定です。ふつう「磐井の乱」と称されますが、小説では大和朝廷の横暴を諫める役割を果たします。

磐井の母は朝鮮の新羅王朝の紫雲媛(しうんひめ)です。紫雲媛は進んだ朝鮮の文化を八女にもたらしたとされています。

八女市には磐井が造らせたと言われる岩戸山古墳があります。私はかつて;岩戸山古墳について;調べたことがあります。近くに博物館があり、当時館長だった太郎良氏から石像などについて説明してもらいました。

磐井の連合軍と大和朝廷軍が衝突したとき、磐井が陣を敷いたのは久留米市の高良山でした。ここからは筑後川と筑後平野、遠くは佐賀平野を見渡すことができます。敵軍の動きを知るには格好の地であったろうと思われます。

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パール・バックの『大地』を読む

パール・バックの小説『大地』を読んだ。小説は、第1部「大地」、第2部「息子たち」、第3部「分裂せる家」の3部構成になっている。新潮文庫版は4冊ある。

私は青年の頃、第一部を読み、とても面白かったという印象をずっと持ち続けていた。その好印象からもう一度読んでみようと思った。文庫版の文字はとても小さいので、電子版を購入してソニーの読書端末Readerで読んだ。

私にとっては、『大地』は内容とは別に大きな思い入れがある。大学生の頃、『大地』のドイツ語版を読むことによって、ドイツ語の単語力と読書力をつけたからだ。小説自体が面白かったからであるが、叙述が具体的で理解しやすいという事情もあった。翻訳は文章構造が明確でドイツ語学習には適していると今でも思っている。

ドイツ語版はペーパーバックでは第1部だけである。本の背の糊が剥がれてページが外れたりしたので、後に製本をして堅牢な本にした。今、ページをめくってみるとアンダーラインや書き込みがしてある。本のどこかを開いて読むと、登場人物の誰の台詞かすぐわかる。私にとっては捨てがたい一冊だ。

『大地』第一部は、王龍(ワンルン)と阿藍(オーラン)夫婦の生活を軸にして筋が展開する。王龍は貧しい農民だった。大地主の奴隷だった阿藍を妻に迎える。農地への執着が強く、働き者だ。阿藍は無口で働き者で性根のしっかりした女性だ。主人公の王龍が大地主になっていく過程が描かれる。洪水や飢饉によって死ぬほどの苦労を重ねていく様がていねいに描かれていく。

王龍は大地主になり、没落した大地主の家を買い取り、そこで家族と生活するようになる。第二夫人、第三夫人を迎え入れる。阿藍はこのような状況に忍従するが、誇りは失わない。作者の温かい目が阿藍に注がれ、作品に重厚さを与えている。

第二部は、王龍の息子たちの生活を描く。長男王一(ワンイー)。父から受け継いだ財産を守るだけの能のない男である。次男王二(ワンアル)。商才にたけ、やがて豪商になる。三男王三(ワンサン)。母親に似て無口で剛毅な性格を持つ。後に軍閥の首領となり、王虎(ワンホー)将軍と呼ばれる。

小説は、それぞれの息子の妻たちや家族をていねいに描く。王三は匪賊の頭目を倒し、その妻だった女を後に正妻にする。彼女は妖艶な魅力をもっているだけでなく、才知にもたけている。しかし、匪賊に内通して王三に殺されることになる。王三が将軍になっていく過程、この女に惹かれていく過程はよく練られたストーリー展開でとても面白い。

第三部の主人公は、王三の第二婦人の息子である王元(ワンユアン)である。前半は父親に反抗はできないものの心から従うことができない息子の心情が描かれる。王元は父の束縛から離れ、後に、アメリカに留学し農学を学ぶ。老教授との交流、教授の娘メアリとの心の交流でストーリーが展開する。

王元はアメリカの大学を主席で卒業するほど優秀な頭脳をもっているが、決断力は弱い。祖父譲りの性格か農地への愛着を感じながらも、農民にはなりきれない知識人である。帰国後は革命後の首都で大学の教師になる。

王三の第二夫人(王三は二人目、三人目の夫人に序列をつけなかったので、二人の第二夫人がいる)は王元の本当の母ではないが、王元の面倒をよく見てくれる。彼女が孤児院で引き取り養女にした聡明な美齢(メイリン)に王元は思いを寄せる。最後の最後にキスをする場面で小説は完結する。

第三部には王元の腹違いの美しい妹愛蘭(アイラン)、従兄弟で詩人の盛(シェン)、従兄弟で革命家の孟(メン)等が登場するが、全体としてストーリーの展開が単調である。延々と王元の優柔不断な思弁につきあわされるはめになり、読むのに忍耐が必要である。

パール・バックは1938年にノーベル文学賞を受賞している。選考委員会は推薦文で、「彼女の小説は、中国の農夫の生活をゆたかに、真に叙事詩的に描いたものとして、大変すぐれたものである」と書いている。第一部に関しては私の感想も同様である。

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小説『宮本武蔵』を読み終える

吉川英治の小説『宮本武蔵』を読了した。前々から読みたいと思って文庫本の第1巻、第2巻はもっていた。途中まで読んで放り出していた。『武蔵』は文庫本で8冊ある。本来の巻とは違うが、ここでは文庫本の通し番号を巻という。

2012年の4月から7月にかけて、北九州市立図書館で「吉川英治文学-巌流島決闘から400年-」展が開かれていたので、友人と一緒に見学した。吉川英治の業績を見て、『武蔵』は読まなくてはの思いを強くした。

Rimg1524 物語は関ヶ原の戦いから始まる。簡単に言えば、美作国の武蔵(たけぞう)の苦闘にみちた成長物語だ。武蔵(後にむさし)の恋人お通との恋愛も重要な要素となっている。幼なじみの又八や又八の母・お杉、沢庵和尚などが重要な役割を担う。

たびたび映画の主題になった般若坂の決闘、一乗寺の決闘などが緊迫感をもって描かれている。佐々木小次郎も登場し、最後の二人の決闘へストーリーは徐々に盛り上がっていく。

発表当時は多くの読者の心を揺さぶり、武蔵像を定着させたとも言われている。確かに全体としては面白い。しかし、現在の視点から見ると、いくつかの短所も指摘しなければならない。

脇役の描写に忙殺され、武蔵が登場しない場面が相当に長い。特に6、7巻あたりは退屈してしまう。悪役・お杉の台詞には毒があり、生きいきとしていている。これは大いに評価したい。しかし、武蔵やお通の命まで狙ってきたお杉は、最後には突然改心して善玉に豹変するのだが、説得力が弱い。

お通は武蔵をひたすら恋する乙女として描かれている。武蔵もお通を想っている。にもかかわらす、二人が出会うのはほんの数回である。それは小説の構成上やむをえないことかもしれない。武蔵にとって剣と恋愛は相容れないものか、それとも融合するものか結論が出ないままに終わる。ここに物足りなさを感じてしまう。そして、二人にあるのは完全なプラトニックラブである。現代的な観点からはなんとも切ない、切なすぎる結末である。

武蔵を師と仰ぎ、武蔵も弟子と認めた城太郎、二人目の弟子・伊織の描き方も中途半端な印象を与える。幼い頃、気の利いた台詞でどのような若者に成長するか読者に期待をもたせた城太郎は平凡な大人になってしまう。伊織もしかりだ。

第8巻は、最後の決闘に向かっての武蔵と小次郎の心の動き、周りの人びとの期待と危惧等がていねいに描かれている。すでに小倉藩に仕官して地位も名声もある小次郎といまだに一介の牢人にすぎない武蔵が対比的に描写され、小説的効果は十二分に発揮されている。

私は、山岡荘八の小説『徳川家康』(全26巻)を読んだ。『武蔵』と『家康』を較べるなら、断然後者に軍配をあげる。

読書端末のブックプレイスを購入したので、第3巻以降は電子版で読んだ。明るい画面で活字を大きくしたので、目に対する負担は最小限ですんだ。ここ数ヶ月は寝る前の30分足らずが武蔵時間となった。

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『蜩の記』を読む

久留米市在住の作家・葉室麟(はむろりん)が2012年1月に直木賞を受賞した。対象作品は『蜩の記』(ひぐらしのき)である。さっそく小説を買い求め読みはじめた。

『蜩の記』は時代小説で、舞台は江戸時代の架空の小藩である。主人公・戸田秋谷は、藩主の側室と不義密通を犯したとして、藩史の編纂と十年後の切腹を命じられている。幽閉されている秋谷の元へ編纂作業への助力と秋谷監視のために武士の壇野庄三郎がやってくる。小説は主人公とその家族を見守る庄三郎の視点で描かれる。

庄三郎は秋谷に接するうちに、秋谷が志高く清廉な武士であることを知る。庄三郎は徐々に事件の真相に近づき、秋谷の無罪を信じるまでに至る。読者は庄三郎とともに少しずつ事件の真相に近づいていく。小説は推理小説のような一面も持っている。

小説には農民と大商人、藩の家老という三者の利害確執が過不足なく描かれている。秋谷は幽閉の身でありながら、農民によりそい密かに助言をする懐の深い武士である。農民の立場に立つ主人公によって、小説の深みが増しているといっていいだろう。

作者の描写は非常に的確である。小説の1ページ目から文章は明快で、読者は具体的で動的なイメージを思い浮かべながら読み進むことができる。風の音、蝉の鳴き声さえも聞こえてくるようだ。主人公の妻、娘、息子の特徴もきちんと描き分けられている。『蜩の記』は、一気に読ませる完成度の高い作品である。

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久留米市の一番街多目的ギャラリーで「葉室麟の世界」が開催された。葉室麟がこれまでに発表した作品が展示されている。個々の作品の内容紹介もされていて、葉室の作品世界が手軽にわかるように工夫されていた。いくつかはすぐにでも読んでみたいと思った。

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2012年6月14日撮影

『霖雨』(りんう)は、葉室燐が受賞後に発表した最新作。大分県日田市に実在した学者・広瀬淡窓の生き様を描いた歴史小説である。今、読み進めている。

余談だが、私が懇親会や忘年会の幹事役を引き受けたときよく利用する「小鳥」という小料理屋がある。ここの女将は前々から大の葉室麟ファンで、カウンター内の棚には葉室作品が何冊も並べてある。受賞を伝える地元新聞の記事には、女将のお祝い談話が載っていた。葉室麟の魅力を熱っぽく語っていた女将の嬉しそうな顔が思い浮かんだ。

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書評・『破綻した神キリスト』

書名   破綻した神キリスト
著者   バート・D・アーマン
発行所  柏書房
価格    2,200円

旧約聖書には、「エデンの園」、「カインとアベル」、「ノアの箱船」、「バベルの塔」、「ヨブ記」など有名なエピソードが収録されている。これらのエピソードに登場する神は、嘘をつき(エデンの園)、兄弟のうち弟だけをひいきし(カインとアベル)、自分を信じない人間をみなごろしにし(ノアの箱船)、不遜な人間は混乱させ(バベルの塔)、自分への信仰を確かめるためには悪魔にさえ活動の場を与える(ヨブ記)。

ユダヤ教徒やキリスト教徒がなぜこのような神を信じることができるのかは、無神論者である筆者の長年の疑問であった。

Img_0700 本書の著者はアメリカのノース・キャロライナ大学教授・宗教学部長で、キリスト教原理主義者を自認している。著者は筆者の疑問に一定答えている。同時に、現代社会の抱える深刻な問題――戦争、饑餓、エイズ、暴政など――を聖書と宗教学の観点から考察しながら、ついに神の存在を疑い、「もうこれ以上神を信じることはできない」という結論に至る。聖書学、原始キリスト教学の第一人者であるだけに、論述は明快であり、説得力がある。なによりも、現実を見すえる視点が鋭い。

本書は信者がどのような根拠にもとづいて神を信じているのかを理解するのに格好の書物であるだけでなく、まじめなキリスト者がまともな考察を重ねるならば、無神論者の神の解釈に限りなく近づくことを示している。

宗教がらみの紛争が多い現代を理解するのに重要な一冊としてお勧めする。

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