小学校の思い出

小学校の思い出(10) しとうさん

小学校1年生になる前のころだったでしょう。1キロメートルくらい離れた家の、しとうさんという子どもがいました。少し知恵おくれで、動作もゆっくりとしていました。私の「のぶお」という名前もめいりょうに言うことができず、「どぶおさん」と呼びかけていました。

私の子ども時代にも幼稚園はあり、場所はお寺でした。私はしかし幼稚園には行っていません。そんなわけで、しとうさんがときどき、「どぶおさん、あそぼー」と言って私の家にきていました。何をして遊んだのか思いだせませんが、ゆっくりとしたテンポは合っていたような気がします。

私の祖母や母もしとうさんにはやさしくて、「しとうさん、またきんさいなー」(来なさいね)と語りかけていました。

しとうさんは身体も弱かったのでしょう。たしか小学校に入る前に亡くなりました。

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このシリーズは、小学生の女の子Yさん宛に書いた私の小学校時代の思い出です。

前回、「小学校の思い出(9) 赤胴鈴之助」

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 小学校の思い出(9) 赤銅鈴之助

私が小学生の頃にも漫画雑誌がありました。「少年画報」とかいう名前でした。私は買ってもらえなかったけど、毎号買っている友だちがいて、借りて読んでいました。そのなかに連載漫画で「赤銅鈴之助」というのがありました。

剣道の先生、千葉周作の所に入門して修行をするのです。ライバルの竜巻雷之進や悪者がつぎつぎ出てきて鈴之助を苦しめますが、それでも鈴之助はその苦境をのりきります。こたつに入って手に汗をにぎりながら読んでいました。

剣をとっては日本一に、夢は大きな少年剣士・・・という歌とともにテレビでも放映されたので、ひょっとしたらYさんも知っているかも。

おととしのことだけど、「赤銅鈴之助」が10何巻の本になって出版されました。私は全部買って読みましたよ。面白かったけど、昔のようにはらはらどきどきはしませんでした。読んだ本はバザーに寄付しました。

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このシリーズは、小学生の女の子Yさん宛に書いた私の小学校時代の思い出です。

前回、「小学校の思い出(8) 山の峠をひとりで越えて」

次回、「小学校の思い出(10) しとうさん」

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小学校の思い出(8) 山の峠をひとりで越えて

私の生まれたところは深い山の中。かつては日和村(ひわむら)でしたが、町村合併(がっぺい)で石見町日和地区となりました。

私の母は町役場のある地区(旧矢上村)から嫁に来ていました。山の峠を歩いて越えなければななないのですが、なんと2里(8キロ)もあるのです。母は若い頃は私をおんぶして実家のまつりに行っていたということです。

私も小学校の高学年のとき、母の実家のまつりにひとりでこの山道をてくてく歩いて行ったことがあります。車もバスもなかったんです。山、また山。2時間以上も人っ子ひとりいない道です。よく歩いたでしょう。それだけまつりはむかしの子どもにとっては魅力的だったのです。

ところで、昨年秋、この町役場のある地区から日和地区に通じるトンネルが完成したのです。トンネルの長さは2,850メートルだそうです。車では3分たらずで通りぬけることができます。母の実家へは車で15分足らずで行けます。すごいとしかいえませんよね。

前回、「小学校の思い出(7) お寺まいり」

次回、「小学校の思い出(9) 赤胴鈴之」

++++++++++++++++++++++ このシリーズは、小学生の女の子Yさん宛に書いた私の小学校時代の思い出です。

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小学校の思い出(7) お寺まいり

私が生まれ育った村にはお寺がありました。農閑期(のうかんき。田植えや稲刈りが終わってひまなとき)には大人たちはお寺におまいりしていました。お寺の本堂に座って、坊さんのとなえるお経や説教を聞くのです。私もよくついて行っていました。

お経を知っている人は坊さんに唱和します。農家の人はみんな疲れています。ほどよい温度の中で座っていれば、眠くなってくるのもとうぜんです。お経の切れ目に、「なんまんだぶつ」と唱えて、こっくり。説教の途中に、「なんまんだぶつ」と言って、こっくり、こっくり。

私はこの光景を見て、「大人がお寺におまいり来るのは、からだを休めるためなのだ」ということがわかりました。家で昼寝ができない農家のお嫁さんでも、お寺では一休みすることができます。信仰とは別のごりやく(仏が与える利益)です。

小学生にしてはずいぶんませた発見ですよね。私は今でもこの見方は正しいと思っています。小学生ながらこの発見をしたことを誇りに思っているんですよ。

前回、「小学校の思い出(6) バイオリン」

次回、「小学校の思い出(8) 山の峠をひとりでこえて」

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このシリーズは、小学生の女の子Yさん宛に書いた私の小学校時代の思い出です。

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 小学校の思い出(6) バイオリン

小学校5、6年生のときの担任の先生は、私の家の離れに住んでいました。前にも書いたように、ちょっと変わった先生で、そのころは新婚ほやほやでした。

その先生はバイオリンを弾いていました。学校にもオルガンしかなかった時代でしたから、ずいぶんハイカラな楽器でした。私が5年生のとき、私にバイオリンを教えてくれました。私も何曲か弾けるようになり、学芸会で独奏しました。

私は音感はたしかですが、リズム感が悪いのです。合唱するときなど、出だしのリズムがつかめず、小さな声で初めて、みんなに合わせて大きな声にするのです。そうしていたので、目立ちはしませんでしたが。あのころは、「みんな始めるところがよくわかるな」と思っていました。

というわけで、バイオリンはものになりませんでした。

前回、「小学校の思い出(5) 赤ずきんちゃん」

次回、「小学校の思い出(7) お寺まいり」

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小学校の思い出(5) 赤ずきんちゃん

小学校5年生のときだったかな。学芸会で「赤ずきんちゃん」をやることになりました。私は赤ずきんちゃんのお父さん。まさかりを持ってせりふを言うのです。練習のときには描かなかったひげを、本番のときに先生が描いてくれたのです。その顔が自分でもとってもおかしかったのです。お父さんやお母さんが来ている前で、演技中に自分の顔を思い出して吹き出してしまいました。笑いが止まらないのです。

たぶん後から先生におこられたと思いますが、それはすっかり忘れてしまいました。私は悪いことは忘れるという特技を持っているのです。

前回、「小学校の思い出(4)  5、6年生のときの先生」

次回、「小学校の思い出(6) バイオリン」

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小学校の思い出(4) 5、6年生のときの先生

5、6年生のときの担任の先生は変わった男の人でした。

小学校の先生はいろいろな科目を教えなければならないのに、算数と工作の授業しかしないのです。算数は自習。教科書を自分で読んで、練習問題をやり、それを先生に見せ、できていたら次に進んでいいのです。できるだけ図に書きなさいというのが方針でした。できる子どもはよかったけど、できない子どもにはかわいそうでした。

工作はそうとうレベルの高い物を作っていました。本格的な横笛、おひつを入れるわらの容器(昔はご飯をおひつという木の容器に入れていました。島根の冬は寒いので、ご飯を入れたおひつをわらの容器に入れるのです)、茶碗を入れるかご、どろをいれるざる(すんどりと言っていました)などなど。私は工作が好きだったので、おもしろいばかりでした。

ずいぶん昔のことだし、いなかだったから、そんなことができたんですよね。今だったら、父母から大もんくが出るところでしょう。

前回、「小学校の思い出(3) かけ算九九」

次回、「小学校の思い出(5) 赤ずきんちゃん」

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このシリーズは、小学生の女の子Yさん宛に書いた私の小学校時代の思い出です。

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小学校の思い出(3) かけ算九九

かけ算九九を習ったのは三年生のときでした。担任はN先生という女の先生でした。

ある日先生が、「みんな、九九をあんしょうできるようになりましたか。できるようになった人は、S君の前で言ってください」と言いました。私はちょっとあわててしましました。というのは、九九はほとんど覚えていましたが、七の段あたりがあやしかったのです。でも、でも、そしらぬ顔をして先生役をつとめました。よくできそうな人に、「七の段を言って」と指示して、詰まりそうな人には五の段とかやさしい段をやらせたのです。

その日、帰ってからいっしょうけんめい復習しました。

前回、「小学校の思い出(2) 一級上のお姉さん」

次回、「小学校の思い出(4) 5、6年生のときの先生」

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このシリーズは、小学生の女の子Yさん宛に書いた私の小学校時代の思い出です。

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小学校の思い出(2) 一級上のお姉さん

図書委員会はたしか4年生から6年生までの委員で構成されていました。

図書委員の作業をしているとき、一級上のお姉さんが議長の「議」という字を私の目の前で書いたのです。「議」という字の「我」の部分は書き順がむずかしいのに、そのお姉さんはなんの苦もなくすらすらとしあげました。私はそのお姉さんを尊敬しました。

それからずっとそのお姉さんにはあこがれていました。あこがれていただけで、話しをしたことはほとんどありません。率直に話ができていたら、といまでも思います。

前回、「小学校の思い出(1)  読書」

次回、次回、「小学校の思い出(3) かけ算九九」

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このシリーズは、小学生の女の子Yさん宛に書いた私の小学校時代の思い出です。

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小学校の思い出(1) 読書

私は一人の少女と長いこと文通をしていました。彼女がたしか小学校3年のときに始め、大学の四年生まで続きました。

じつは彼女のお父さん、お母さんを引きあわせたのは私たち夫婦です。二人は一度会っただけで互いに好意をもちあい、結婚しました。その後、娘二人、息子一人の五人家族になりました。毎月のように、A3版の「家族新聞」を発行し、親族や友人に配布していました。新聞からはとても仲のよい家族だということがうかがえました。私たち夫婦も読者で、毎号楽しんで読んでいました。私の文通相手は、2番目の娘さん(Yさん)です。

小学生のYさんは学校の出来事や友達のこと、家族旅行のことなどを手紙に書いて送ってくれました。Yさんの手紙はすべてファイルして保存しています。私もそれに反応しながら、日常のことを書き送っていました。そのうち、私は小学校時代のことを思い出し、エピソードを書き送るようになりました。

これからシリーズでYさんに送った私の「小学校の思い出」を掲載します。ひらがなが多く、語りかけるような調子になっているのは、相手が小学生だったからです。

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私は小学校4年生頃まであまり本を読んだことがありませんでした。校長先生がときどき教室にきて物語を読んでくれていました。それはとても好きでした。

小学校には図書室があり、たしか4年生のとき図書委員になったのです。そこで、「ロビンフッドの冒険」という本を借りて、初めてぶあつい本を読みとおしました。わくわく、どきどきでとてもおもしろかったということをおぼえています。最後にロビンフッドが老人になって死ぬのです。ハッピーエンドしか知らなかった私にはそうとうショックでした。

おもしろかったという記憶は大人になっても残っていたので、30歳代になってから「ロビンフッドの冒険」という本を買ってよんだのです。そうしたら、やはりおもしろく、小学生の私がなぜどきどきしたかわかったような気がしました。

次回、「小学校の思い出(2) 一級上のお姉さん」

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